« 死ぬ間際の生命波動1 | トップページ | 死という現実に直面する »

死ぬ間際の生命波動2

2005年02月27日

以前勤めていた会社の同僚が、病気で入院していた事があったのだが・・・
その元同僚は、体重が130kgオーバーで、体にかなり負担がかかっている。

おかげで冬は、毎年痛風が襲ってくるのだ。
そのため、その同僚はダイエットするために入院した。

実は、その前にもダイエットで同じ病院に入院している。

一時、短期間で大分痩せたのだが、また以前よりもさらに太ってしまい、再び入院したのだ。

その時は、リバウンドなんて言葉は聞いたことはなかった。

病院側もその認識はなかったと思う。

だいぶ後になり、テレビでリバウンドという事がとりあげられるようになり、肥満のメカニズムが分かった様な気がした。

今思うと、やはり典型的なリバウンド現象だったと思う。

病院側の急激なダイエットは無理があった。

僕もその人とは仕事の打ちあわせもあったから、よく病院には見舞いにいった。

そして、いよいよ入院最後の週の半ばになり、本当なら退院するはずだったのが・・・

昼休み、病院から、そのご家族の姉から会社に電話が入った。
「弟の様子がおかしい。呼吸が止まってしまった。」と。
ほかの社員を動揺させてはいけないので、そっと病院に向かったが、時すでに遅し。

心臓に電流を流すが、もうどうにもならない。


僕の体から、全身の血が引いたというよりも、全身の神経がショートしながら、
全ての神経がぶちきれていくような感覚を覚えた。

そして、ご家族のススリ泣く声が、院内を響く。

あの出来事は、多分一生忘れないだろう。

その人は、太っていたために気管も普通の人よりも狭く、慢性的な酸欠状態だったという。
(酸素の供給量が、普通の2/3しか取れない状態だったらしい。)

そして、昼食を食べたとき、一瞬呼吸が止まってしまったのだ。
太っている人に多い、無呼吸症候群だったようだ。

だれかその場にいて、気がついて体をゆすったりしたら、避けられたかもしれない。


でも、その瞬間は誰もいなかった。

看護婦さんが食事を片付けにきたときには、すでに遅かった。

運が悪かったとしかいえない。

しかし、実はその2日程前に、その人は変なことを口走っていたのだ。

その人は、どちらかといえば無神論者、あの世の事などあまり信じないほうだったと思う。

それが、

「寝ていると、上のほうから見ている自分がいる。
ベットに寝ている自分と、上から見下ろしている自分がいて、
どちらが本当の自分かわからない。頭が変になりそうだ。」と。


その時は、後数日で退院し、
また一緒に仕事が出来ると思っていたから、
特に気にもせずに聞き流していたのだが・・・

今思うとそれは、あの世に旅立つ準備が始まっていたとしか思えないのだ。


そうすると、無呼吸でいきなり襲った悲劇は、実はその時から決まっていたのかも知れない。

先に書いた、亡くなる前に出るフーチの反応と併せてみても、何か共通点が感じられる。

ひょっとしてだが、人間いよいよあの世に旅立つときは、
その直前から肉体の苦痛から開放されて、
楽な状態、肉体的苦痛が無くいけるのかもしれないのだ。

(もちろん、その人の置かれている状態で違うだろうし、
また物事の執着から離れていないといけないから、一律的な見方ではないのは勿論だが)


もしそうであるならば、
波動測定でも、最後のあの世に旅立つ直前になると、
生命エネルギーも、悪い反応から、一時良い反応に切り変わるというのは、
死に対して、肉体的苦痛を与えないようにして、
そして安らかな思いで肉体を離れて行かせる為の作用なのかも知れないのだ。

(あくまでも推測だが、そうならば、これは神の計らいとしか言いようが無いのではないか。)

それが事実ならば、
幾つかの事例で、最後だけ病気の人の生命エネルギーがよい方向に転換されるのも、
説明がつくのかもしれない。

これについては、今後も検証を続けて、自分なりに答えを見つけていきたいと思う。

|

« 死ぬ間際の生命波動1 | トップページ | 死という現実に直面する »

体験談」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 死ぬ間際の生命波動2:

« 死ぬ間際の生命波動1 | トップページ | 死という現実に直面する »