叶う事、叶わない事
2006年04月09日
ウチの家内は、学習塾をやっている。
過日(3月も半ば頃だったか)、こんな事を言った。
この時期は、ちょうど新学期を目前にして、生徒の入れ替えの時期だ。
小学生の生徒をもっと増やしたいと言う。
その時は丁度春休み前であったので、近くの幼稚園に、学習塾のチラシを置いてもらって、PRしたと言う。
もちろん、そういうことに対しては寛容な幼稚園も多い。
しかし、中にはその園の方針として、受け付けない所があるのも事実だ。
その中で、前々から気になっている幼稚園があるという。
そこで、こららに、ぜひチラシを置いてもらうように、パワーを送って欲しいと言う。
ちょっと気が進まなかったが、何とかなればと言うつもりでやってみた。
一応、エネルギーは入ったようだ。
結果はどうか?
その幼稚園、すぐ返事をくれるところみたいで、チラシの話をしたその翌日には返事が来た。
結果はノーだった。
やっばりだめだったか。
しかし冷静に考えてみれば、もっともな事だと思う。
この技術で、何でも叶うと思ったら大間違いだ。
その園には、その園としての経営方針がある。
もしも、それが天の意思に反していたら、何らかの変化があるかもしれない。
しかし、今回の場合は、全くそれとは関係ない。
またそんな事で、その度毎影響されていったら、社会が混乱してしまうだろう。
どんな形にせよ、その人の、あるいはその組織の自主性を拒む要素があったら、それはエゴというものである。
あくまでも、この技術、天の意思に叶うように悪い波動を取り、正常にするだけの技術なのだ。
改めて、その事に気づかされた。
この些細な事ではあるが、ちょっとした気づきが得られれたという事は、自分にとっても良い事だった。
この技術で、願い事が何でも叶うと言う事になると、あるいは、その事のみが先行してしまうと、逆に多くの人の心を惑わしてしまう事になる。
危うく、ご利益信仰みたいなものになるところだった。
あくまでもこれは、悪い波動を抜き正常化するための技術。
そこの事の結果が、その人にとってもっとも良い形で出てくるだけであると思う。
それが、時として奇跡として見えたりする。
しかし、不思議な事が起こると、周囲からは何でも出来てしまうのではないかと期待されたり、錯覚してしまったりするが、そこに、過剰な期待や願望をのせるのは、良くないことだと思う。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- あの世の世界(2022.05.11)
- 10年前の予言(2021.08.11)
- 失くし物が見つかった(2009.09.03)
- 念ずる事は現実化する?(2009.09.03)
- 気を入れる効用(2009.09.03)
コメント