歩行禅ならぬ運転禅
過日、本業の方の仕事で、公園の遊具の改修工事がありました。
それが、短期間とはいえ,高速がほとんどで、片道3時間弱の距離ですから、
自宅と現場は、随分と距離があります。
夜中の3時には起きて体調を整えて、夜明けには出発して、夜は遅い時間の帰宅です。
トラックでの移動中、ラジオを聞きっぱなしもいいのですが、ふと思い立って、
公園までの往復時間、約6時間を歩行禅ならぬ、運転禅をしてみました。
過去の人生を振り返っていたら、心の中の風景と運転中の風景が心の中の映像に、
二重写しになってしました。
取り留めもなくいろいろな場面や出来事が浮かんできましたが、
自分自身の欠点も浮き彫りになっているので、
今度はなぜその様な性格が出来上がってしまったのか、、
また見つめてみたいと思います。
とにかく、自分でこの事 (※SE研究所の仕事) を始めたのが良かったのかどうかは分かりませんが、
今の自分と、昔の自分と別人のように、ずいぶんと変わっているのに気がつきました。
過去の自分をみると、他人さまから見ると、今の姿から想像すると意外に思われるかもしれませんが、
とても引っ込み思案で、人と交わるのが苦手で、超が付くほどの奥手で全てにコンプレックスの塊でした。
なぜ、そうだったのか、色々と想いだし、考えてみた数時間でした。
結論や答えはでません。
ともかく往復の6時間と、その前日の3時間の合計9時間近く、過去の記憶をたどっていました。
しかし、一人っきりになる、沈黙する。
その様な状態を創らないと、なかなか心の内面がでてこないものです。
他のことは出来ない状態にして尚且つ、最低2時間はないと、
心の中を掘り下げられないものです。
これで、心のスモッグが取れたとか、心の浄化になったとかは、一切思いませんし、
またその様な感覚もありませんが、思い出すときは、
過去の出来事が断片的ではありますが、走馬灯のように出てくるものです。
自分史というか、ささやかな反省の叙事詩を見ているような・・・という感覚もあります。
過去の出来事に対して、思い出してもイライラもなく、気持ちも乱れず、
ただ淡々と見ている時間がありました。
(しかし、運転中は、目で映し出す風景と、心の中での映像とが、同列で出てきますので、
気を付けないといけませんね。)
今度は、新幹線や高速バスの中で、再度この感覚を味わってみたいと思っています。
【SE研究所ホームページ】
http://www.selabo.jp/
【心と波動の世界・総合版】
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